皆さん、こんにちは。
もし今、あなたが僕と同じように「営業辞めたい」「今の仕事から逃げ出したい」と、心の中で叫んでいるなら、このブログはきっとあなたの力になれるはずです。
僕もほんの少し前まで、まさに「社畜営業」の典型でした。
朝から晩まで数字に追い立てられ、精神的にすり減る日々。僕が担当していたのは個人営業だったから、平日は休みで土日仕事というサイクルでした。せっかくの土日も、お客様相手にひたすら新規のテレアポをこなし、アポイントが取れれば即決営業で強引な提案を迫る。それが原因でお客様からクレームを受けることも多々ありました。
お客様には嫌われ、上司からは達成目標を詰められ、もう逃げ道がない状態。そんな日々が、僕の心を静かに、でも確実に蝕んでいきました。「このままだと、いつか本当に壊れてしまう…」そんな漠然とした不安を抱えながら、インターネットで「営業 辛い」「仕事 辞めたい」と検索するのが、僕の唯一の現実逃避でした。
そして、今、僕は大学職員として働いています。
「営業しか経験ない僕が、本当に?」
きっと、そう思われるかもしれません。正直、当時の僕自身が一番驚いていますから。
このブログ「TOEIC300の社畜営業が、なぜか大学職員に転職できた件」では、そんな僕が、どうやって営業職の苦しみから抜け出し、安定とやりがいのある大学職員という道を見つけ、そして実際にその扉を開いたのか。その全過程を、僕自身の体験談と、そこから学んだこと、そして現在の大学職員としての経験を踏まえて、包み隠さずお伝えしていきます。
今回は、まず僕の「転職に至った経緯」から「実際に転職活動を実行するまで」を、時系列に沿ってお話します。
「何をきっかけに転職を決意したのか?」 「なぜ数ある選択肢の中から大学職員を選んだのか?」 「そして、具体的に何から始めたのか?」
かつての僕と同じように悩むあなたの、一歩踏み出すきっかけに、少しでもなれたら嬉しいです。
さあ、僕の「大学職員への道」を、一緒に歩んでいきましょう。
僕の「履歴書」:新卒でつまずき、TOEIC300点、中高帰宅部の凡人です
まずは簡単に、僕のこれまでの経歴と、どうしようもないスペックを晒させてください(笑)。
【僕のプロフィール(転職当時)】
* 学歴:私立中堅私大卒
* 学生時代:中高は完全なる帰宅部。突出した活動はなし。
* 語学力:TOEIC300点台(英語力はまるでなし)
* 新卒での就職:内定を得られず、就職浪人を経験。卒業後に教育系企業へ入社。
こうして見ると、本当にこれといった強みがない、ごく普通の(いや、むしろ少し残念な?)人間でした。特に新卒でつまずき、就職浪人を経験したことは、当時大きなコンプレックスでしたし、英語力も壊滅的です。
そんな僕が、どうやって「大学職員」というホワイトな職場にたどり着いたのか、正直、自分でも驚いています。
地獄の営業会社で過ごした4年間:優しい「教育系」のはずが…?
僕が社会人として最初に入ったのは、教育系の会社でした。
「教育系なら、きっとみんな穏やかで、働きやすいんだろうな」
そんな甘い幻想を抱いていましたが、入社してすぐに思い知らされました。僕が配属されたのは、まさかのゴリゴリの営業部署だったんです。
仕事内容は、英会話スクールやウェブデザインスクールに資料請求をしてくれたお客様に、片っ端から電話をかけ、来校してもらい、そこで「即決」での契約を迫るというもの。
正直、入社前の「優しい教育系」というイメージとはかけ離れていて、毎日が精神的に本当にきつかったです。
1日100件超えのテレアポ地獄と「迷惑電話」扱いされる現実

テレアポは、1日最低100件以上。資料請求してくれたお客様といっても、数年前の古い情報まで遡ってひたすら電話をかけ続けました。当然、向こうは資料請求したことすら覚えておらず、僕の電話は「迷惑電話」扱い。実際にそうなんですけどね(苦笑)。電話口で怒鳴られたり、すぐに切られたりするたびに、心がすり減っていきました。
「即決」を迫る心苦しさ、上司からのプレッシャー
せっかくアポイントが取れてお客様が来校してくださっても、そこからは即決営業地獄です。
「定員がいっぱいになる」「他にも入学を考えている方がいるから、考えている暇はない」「今すぐ決めないといつ入れるか分からない」など、ありとあらゆる理由をこねくり回して、その日のうちに契約を決断するよう迫る日々。お客様に無理強いしていることに罪悪感を感じることも多々ありましたし、上司からの「今日、決めろ」という数字への強い圧力は、僕の心を毎日蝕んでいきました。
そんな生活を4年間。
よく耐えたな、と今では思います。でも、当時の僕は、本当に毎日が限界でした。
「営業アレルギー」発症!とにかくノルマから解放されたかった僕
4年間の猛烈な営業生活で、僕は完全に「営業アレルギー」を発症していました。
とにかく営業以外の仕事がしたい。ノルマから解放されたい。
ネットでは「ルート営業は楽」「法人営業は個人相手より良い」なんて情報も目にしましたが、当時の僕には、もう「営業」と名の付くものは全て拒否反応が出ていました。とにかく数字を追うこと、お客様に売り込むことが、もう精神的に無理だったんです。
このままでは本当に心が壊れてしまう。そう直感し、僕は転職を決意しました。
手探りの転職活動スタート!「事務職」で大学職員にたどり着いた
転職を決意したものの、具体的にどんな仕事があるのか、何が自分に合うのか、全く分かりませんでした。そこで僕がまずやったのは、手当たり次第に転職エージェントや転職サイトに登録することでした。
- リクナビNEXT
- DODA
- マイナビ転職
など、CMで見るような大手には全て登録し、面談を受けました。そこでエージェントの方に僕の悩みや希望(とにかく営業以外!ノルマなし!)を伝えた結果、「事務職」という選択肢が浮上しました。
そして、様々な事務職の求人を見ている中で、僕の目に飛び込んできたのが「大学職員」だったんです。
「大学…? 事務職…?」
これまでの営業とは真逆のイメージに、僕は強い興味を惹かれました。安定していて、ノルマもなく、学生支援という社会貢献性も高そう。まさに理想の職場に思えました。
最初の壁:在職中の転職活動は3校不採用。いったん心が折れる。
「これはもう、大学職員しかない!」
そう決意した僕は、在職中に転職活動を開始しました。しかし、現実は甘くありませんでした。
当時、3校の大学に応募しましたが、結果は3校とも不採用。
奇跡の出会いからの筆記敗退…ごめん、先輩
最初の2校は書類選考で不採用。そして3校目。この大学はかなり倍率が高いと聞いていたのですが、奇跡が起きたんです。僕の転職エージェントとして出会ったのが、なんと僕が以前勤めていた職場を辞めた先輩だったんです!
先輩は僕を激推ししてくれて、難関だと言われる書類選考を突破することができました。本当に感謝しかありません。しかし、その後の筆記試験で、僕は力尽きました。なんせ私立文系出身で、算数も壊滅的だった僕。過去問対策も不十分なまま臨んでしまい、結果は不採用。「ごめん、先輩!」と心の中で叫びました。
当時、初めての転職活動ということもあり、正直右も左も分からず、何の工夫もしていませんでした。ネットで「大学職員はホワイト」「高収入」という情報に惹かれ、とりあえず応募してみたものの、そこには「高倍率」という現実が立ちはだかっていました。
「やっぱり、大学職員なんて無理なんだ…」
「ネットで見た『ホワイト』『高収入』は夢物語で、自分には縁がないんだ…」
そう思い込み、またひたすらテレアポをする毎日に逆戻り。出口の見えない状況に、本当に絶望していました。
逃げの退職、ニート生活。
在職中の転職活動が上手くいかない中、僕の精神的な限界は、いよいよピークに達していました。朝起きるのが辛く、会社に行く足が鉛のように重い。
そして、ついに僕は、ある決断を下します。
「転職先が決まってないけど、今の仕事を辞めよう」
これは、「退路を断つ」というよりも、正直なところ「もう耐えられない」という逃げの決断でした。無職になる、給料がなくなるリスクを背負うことへの不安は大きかった。家族や友人からは当然心配されましたし、自分でも本当にこれでいいのか、と自問自答する毎日でした。
ニート生活と、沖縄の海での黄昏タイム
仕事を辞めて、時間だけはひたすらありました。
無計画に一人で沖縄へ。カップルがいちゃいちゃしている海辺で、ひとり体操座りをして自分の将来を憂えていたのを覚えています。「一体、自分の人生はどうなっちまうんだ…」青い海を見ても、心は晴れませんでした。
そして、実家に戻りニート生活が始まりました。話すのは親とコンビニ店員のみ。ほんとに声の発し方を忘れて、コンビニで「お弁当あたためてください」の声が裏返ったこともあります。今では笑い話ですが、当時は本気で焦りました。
時間だけはたっぷりあるはずなのに、転職エージェントや転職サイトを眺めたり、とりあえずハローワークに行ってみたりと、無為な日々を過ごしていました。営業アレルギーは相変わらずで、「営業だけはしたくない」と、うだうだするばかり。
そんな僕を見かねてか、ある日、転職エージェントが言いました。
「それだったら、大学職員をもう一度、本気で目指してみませんか?」
その言葉が、僕のうだうだしている自分の背中を押してくれました。「それもそうだな」と。どうせ時間だけはあるんだから、今度は言い訳のできないくらい、本気で取り組んでみよう。そう思えたんです。
採用サイト以外を徹底攻略!僕が変えた「企業研究」
覚悟を決めた僕は、企業研究のやり方を根本から見直し、より深く、より戦略的に情報を集めるようになりました。
今までは正直、大学の採用ページや募集要項をざっと見るくらいでした。でも、それではダメだと痛感し、徹底的に調べ上げたんです。
具体的には、
- 大学の中期計画・長期計画
- 大学が公表している教育方針や特色
- 国の少子化の状況が大学経営にどう影響するか
- 応募する大学の経営状況や財務状況(これは大学HPなどから読み解きました)
これらを片っ端から調べて、自分が応募する大学の「過去」、「今」と「未来」を理解し、その上で自分の経験がどう活かせるか、どう貢献できるかを履歴書や面接で具体的に語れるように準備しました。
実際、いま大学職員として働いてみて、そのとき調べた情報は確かに正しかったと、日々「答え合わせ」ができています。これらの具体的な企業研究のポイントは、今後の記事で詳しく解説していきますね。
そして、再び転職活動を開始。
その結果…
なんと、応募した4校全てから内定をいただくことができたんです!
しかも、その中には、昨年書類選考で不採用になった大学も含まれていました。あの時の悔しさが、歓喜に変わった瞬間でした。
そして、現在の大学へ:ノルマから解放された日々
複数の内定をいただいた僕は、それぞれの大学の雰囲気や仕事内容、将来性などをじっくり比較検討しました。そして、最終的に僕が選んだのが、今の大学です。
入職して数年が経ちますが、本当に毎日が充実しています。
あの頃、僕を苦しめていた「ノルマ」は、もう存在しません。学生のために、大学のために、自分がどう貢献できるかを考えながら、一つ一つの業務に丁寧に取り組むことができます。
もちろん、大学職員の仕事にも大変なことはあります。でも、言っちゃいけないけど、営業時代の精神的なプレッシャーのかかり具合とは全然違います。そして何より、心穏やかに働けることの喜びを、日々噛み締めています。
まとめ:あなたにも「大学職員への道」は拓ける
僕の簡単な履歴書と、転職に至るまでの経緯、そして最初の転職活動の失敗談と、そこからの逆転劇についてお話しました。
新卒でつまずき、ゴリゴリの営業会社で疲弊しきっていた僕でも、大学職員への転職を成功させることができました。
これは、決して特別な才能があったからではありません。
「営業辞めたい」という強い思いと、適切な情報収集、そして何よりも「退路を断つ覚悟」が、僕の人生を大きく変えてくれたのだと確信しています。
次回の記事では、僕が具体的にどんな企業研究をしたのか、そして不採用から内定を掴むために何を変えたのかについて、さらに深掘りしてお伝えしていきます。
もし今、あなたが僕と同じように「営業辞めたい」と悩んでいるなら、決して諦めないでください。あなたの「大学職員への道」は、必ず拓けます。
このブログが、あなたの転職活動の一助となれば幸いです。
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